積読家の逆襲

私以外の人が書きえたものなんて無意味なんじゃないか.

本を贈る

 本を贈るという行為は一種の暴力だと思う.自分が読んで心から素晴らしいと思った本でも相手にとっては毒になるか薬になるかわからない.自らの一手で相手の思想が変わりうる,そんな権利があるのかどうか.ある哲学者の言葉を借りれば,啓蒙や教育は「本質的に暴力」であり,「余計なお世話」なのである.本を贈る人は贈られる人に直接的に啓蒙をするわけではないが,贈られた人は「わざわざ贈ってもらったのだから読まなきゃいけない」,更に言えば「その上で何かしらリアクションをしなければならない」と考えてしまうかもしれない.そうなってしまえば相手にギプスをはめて矯正しようとするのと同じである.そして,そのような意識のもとで行われる読書体験は実に味気ないものであろう.

 

 本は読むものであって読ませるものではない.そもそも本との出会いは巡り会いなので他人に教唆されるようなものではないし,たのまれたわけでもないのに本を贈るというのは,畢竟贈る側の自己満足でしかない.高級マカロンをあげれば人は 100 % の確率で喜ぶのにあえて本なんぞを選ぶ必要はないのである.本を贈ろうと思うなら他人の心を動かそうとする自らの傲慢さを自覚しなければならない.逆に言えば本を選ぶこと自体を一種の娯楽として楽しめるような人じゃなければやる意味はない.

 

 これらを踏まえた上でもう少し具体的に注意点を列挙してみよう.

・役に立つ本を選ばない

役に立つ本,特に自己啓発本やハウツー本を贈るのは人として最も恥ずべき行為の一つである.前者の暴力性ついてはもはや説明するまでもないだろう.後者については,ハウツー本の類は「役に立つ」ことがアイデンティティであるがゆえに役に立たなかった場合はただのゴミ.本を読むのに費やされた時間は水泡と消え,残るのはメモ帳にもならない紙くず.相手がそれに火を点けて投げつけてきても甘んじて炎に身を包まれるほかない.

・読まれることを期待しない

相手に本を贈るだけでも十分厚かましい,いわんや読まれることを期待することをや.いい本はちゃんと読まなくても,本棚に置いておくだけで効用がある.いっそのこと表紙やタイトルの存在感だけで決めてしまうのも悪くない.勿論渡す時に「読まなくていいよ」と付け加えるのを忘れずに.

・相手が知ってそうな本を選ばない

相手がもとから興味を示してた本,普通に過ごしていればそのうち手に取りそうな本をわざわざこちらからプレゼントしても意味がない(尚,今回の話は Amazon で相手が公開している欲しいものリストから本を選ぶような場合は対象としていない).一方で相手が全く興味を示さないような本を選ぶわけにもいかない.そうなると私が本選びに費やした時間と身銭は水泡と(略).世に数多ある良い本の中からその一冊を選ぶという必然性がなければならない,というのは過言だが何故それを選んだのかを明瞭に説明できなければならない.相手の守備範囲外だけどその場で見送ってしまうような本塁打でもない二塁打(あわよくば三塁打)を狙うのが本を贈る行為の醍醐味である.

 

 先日私の大学で卒業式があり,サークルの後輩がめでたく門出を迎えた.卒業式の翌日に最後の分科会をすることになったので,ふと思い立って書店に足を運んだ.今年度はサークルとしての追いコンを行わなかったので,餞としてプレゼントだけでも贈ろうと思ったのである(無論,私が本選びを楽しみたかったというのもある).経済学部で,一緒に経済思想史の分科会を開催し,天文サークルと兼部していた後輩である.それゆえに経済学および思想史および宇宙に関連するものを選ぼうと思った.さて,マッテオ・モッテルリーニという学者がいる.ベスト・セラーになった『経済は感情で動く』の著者であり,名前は知らなくても書店で平積みされているこの表紙を見たことがあるという人は少なくないのではないだろうか.

 

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学

 

 無論,こんなベタな本あげるわけがない.この著者は邦訳されている本がこれ(および姉妹本の『世界は感情で動く』)しかないので行動経済学者だと最初は思っていたのだが,実際は科学史・科学哲学分野でも業績がある人物である.私は科学哲学者(本人はそう言われるのは嫌がっているようだが)のポール・K・ファイヤアーベントが好きなのだが,「科学的方法論」の妥当性について彼と彼の論敵であるイムレ・ラカトシュとの往復書簡をまとめた "For and Against Method" という本の編者がモッテルリーニ氏であったことを知って驚いた覚えがある.

 

 

For and Against Method: Including Lakatos's Lectures on Scientific Method and the Lakatos-Feyerabend Correspondence

For and Against Method: Including Lakatos's Lectures on Scientific Method and the Lakatos-Feyerabend Correspondence

 

 そしてこの本の冒頭でエピグラフとして引用されるのがイタリアの小説家イタロ・カルヴィーノの言葉である.全文引用すると,

 

To my parents

 

Were I to choose an auspicious image for the new millennium,

I would choose that one: the sudden agile leap of the philosopher who raises himself above the weight of the world, showing that with all his gravity he has the secret of lightness

 

訳には自信がないのでここでは控えるが,これからくる時代に驚くべき思考的な跳躍力を持った哲学者が現れることを望んでいることが読み取れる.そしてここにみられるようなカルヴィーノの宇宙への想像力の結晶と言うべき作品こそ私が今回プレゼントとして選んだ『柔らかい月』である.

 

柔かい月 (河出文庫)

柔かい月 (河出文庫)

 

  経済学と思想史と宇宙の接点にいた彼なら私がこれを読んだところで到達できないようなところに跳躍できるような気がしないでもない.

 

 最後に,本を贈るという行為に伴う暴力性を解消する方法がある.お互いに本を交換するのだ.あまり知られていないようだが毎年 4 月 23 日は「サン・ジョルディの日」と言われ,本を贈る日とされている.もっと人口に膾炙して本を交換する風習が広まればいいのになと思う.