積読家の逆襲

私以外の人が書きえたものなんて無意味なんじゃないか.

向日葵

 山あいの曲がりくねった道を走っている.私の 10 メートルほど先を走っているのは A だ.一緒にサイクリングに行こうと言ったはいいもののお互い特に行きたい場所もなかったので私たちの住む市街地の北の方に伸びる道をひたすら進むことにしたのだ.

 

 舗装された二車線の道路は周囲より少し高くなっており,市街地を抜けてしばらくの間は道沿いにぽつぽつと集落があるのを見下ろすことができた.集落の周りは田んぼのようだった.所謂日本の古き良き田園風景というものだろうか.

 

 でもどことなく寂しい感覚がある.人の姿が見当たらないのだ.田畑の整然とした様子からして長期間放棄されているようには見えないが,逆に人の手が加えられていることも想像できなかった.風が吹いても揺れることなくただ屹立する稲穂の向こうには一様に同じ色をした山々があり,山の上に広がる空は入道雲の氷塊によって凍りついたように白ばんでいた.

 

 引き返そう.と, A に声をかけようとしたが彼との距離はそれが届かないほどに広がっていた.追いつこうとしてスピードを上げるうちに道沿いにあった家屋は全く見られなくなり,墓標のような稲穂が広がるだけの風景になった.

 

 色を失ったその光景の中でただ一つ動いているものがあった.稲穂の中から節くれだった茎を伸ばしてそれは蠢いていた.血だまりのような暗い赤色の花びらに囲まれて,無数の黒い種が中心に吸い込まれるように螺旋を描いていた.

 

 我に返って前を見ると,そこで道路は一車線となっている.そのずっと先に A の後ろ姿が見えたが,私が呼ぶ間もなくそれも見えなくなった.