積読家の逆襲

私以外の人が書きえたものなんて無意味なんじゃないか.

はじめての古本まつり

古書店が好きだ」

と,純粋に言えるかというとどうにも怪しい.古本を入手する手段は今はほとんど Amazon であり,たまにブックオフや大学近くの古書店に行く程度.そこで気になる本があっても Amazon で中古の最安値をその場で確認してしまうので我ながら野暮だなと思う.勿論古書店に行くのは楽しいことこの上ないのだが,それゆえに古書店巡りなどをしていると時間がいくらあっても足りない.しかしここ京都では春はみやこメッセ,夏は下鴨神社,秋は百万遍知恩寺,冬は古書会館に古書店が集まって定期的に古本まつり*1が開催されるのでそういったイベントに行けば効率良く書架を彷徨できる(彷徨に効率を求めるんじゃあないよ).特に下鴨神社の糺ノ森で行われる下鴨納涼古本まつりは京都の夏の風物詩とも言える行事で観光客も多いようだ.森見登美彦四畳半神話大系』で主人公が明石さんに出会ったのもこの場所だ.かくいう私も『四畳半』でこの静かなる祭典を知り,大学三回生の夏に初めて訪れた.古書の魅力については Twitter (ask.fm) で少し話したけれどももう少し.

 

 

 初めての古本市は全体としてはそれほど面白かったという記憶がない.今以上に無知蒙昧だった当時の私はオモチロイ本から放たれる電話を受信できるアンテナを持ち合わせていなかった.それでも「古本市の神様」は一期一会と言うべき一冊を私にもたらしてくれた.森見登美彦さんの文章の魅力のひとつとして諧謔表現の多様さが挙げられると思う.どうやったらあんなに無駄且つ無駄ではない表現が出てくるのだろうと思いながら特集誌に載っていた氏の愛読書を見てみると『角川 類語新辞典』なるものが挙げられていた.思うような収穫がなくラムネだけ飲んで帰ろうかなと思っていた私の目に飛び込んできた湿っぽい辛子色の背表紙.顔のパーツがデザインされたどことなく禍々しい表紙.最初の古本市で購った唯一の本であった.

 

角川類語新辞典

角川類語新辞典

 

 

 表紙をめくると分類表が現れる.

f:id:ccp1848:20150323001616j:plain

あらゆる言葉がこの碁盤の目の中に綴じられている.辞書編集における途方もない作業の大変さと偉大さは三浦しをんさんの『舟を編む』でも描かれているが,この分類におけるそれは想像を絶するものがある.まず適切な項目の設定すら私のような凡骨の及ぶところではない.

f:id:ccp1848:20150323003913j:plain

「自然」,「性状」,「変動」といった大分類ごとに一つの章になっており,章始めにはこのように更に細かい分類と番号が示される.この黒地に白抜きの表というのがまた魔法陣を見ているかのようで心憎い.この感覚は数秘術で世界の真理に迫ろうとするエクスタシーにも通じるところがあるのではないか,知らんけど.10 × 10 × 10 = 1000 個の項目があるわけだがこれらの項目に設定されている言葉を覚えるだけでも語彙は少なからず増えそうである.

 さて実際の使い方だが,「『自然』における『生理』の『分泌』にまつわる語を探そう」という思考回路の人はあまりいないだろうから(少し話はそれるが,太宰治は子どもの頃辞書を「牽く」のではなく頭から読んでいたらしい.ちなみに椎名林檎さんも同様の読み方をしていたというから恐れ入る),巻末にあるアイウエオ順の索引を使用することになる.例えば「素人」の類語を探すときは索引を引くと「582a」とあるので該当する番号のページ(本来のページとは別に分類用の番号がページ上にふられているのでそちらで判断する)を開くと類語がこのように列挙してある.このようにして私は先ほど「凡骨の及ぶところではない」というそれっぽい表現を使うことができたのである.

f:id:ccp1848:20150323011110j:plain

 

 このように平板な文章をデコりたいときは非常に重宝する.適当なページを開いて読んでみるだけでも語彙が増えていくような気がする.一家に一冊おいておけば家族揃って表現力が豊かになり,家族会議は冗句に溢れ深刻な議題はうやむやになって無限に先延ばしにされること請け合いである.生ぬるい家庭を築いていきたいそこの貴方,どうですか.

*1:「古本市」と言う人が多いけど正式名称は春のが「古書大即売会」で,あとは「古本まつり」となっている.何故このような表記になっているか私は寡聞にして知らないが,もしかしたら「祭」と「祀る」をかけているのだろうか.知恩寺では古本の供養なんていうイベントもあるし

読んでいない本について語る

 本が届く.目次や気になるところだけさっと目を通す.棚の空いてるところに適当に置く.基本的にこの繰り返しで私は買った本をほとんど読まない.それゆえに書評なんて大層なものは書くことができない(実はこのブログを作ったときに書評を書こうとしたのだが身にあまる壮大な構想を練ったせいで未だに下書きに保存されたままである).でもそれじゃあ困るんだ,何か記事を書こうとしているのだから.世に溢れる「つれづれなる日常」なんて書き散らしてたまるか.

 

 そうか,読んでないということを明記した上で本について語ればいいのではないか.それによって私なりに本と関わってきたことが顕在化できるのなら少なくとも私にとっては無益なことではない.今更本を読んでこなかったことを反省しても仕方ないし,本を読んだ上での書評は賢人にまかせておこう.

 

 さて,記念すべき最初の記事は何にしようか.このようなコンセプトで「書評」をするにあたってお誂え向きの本がある.ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』(大浦康介訳)である.まさにこの本を読んでいない私がこの本について堂々と語ってみようではないか. さしあたり Amazon のレビューを見てみるとこの本はタイトルから想像されるようなハウツー本ではなく本と向き合うということについて著者が真摯に向き合った考察であるらしい.ふむ,これを読めばさっき適当に書いた「私なりに本と関わってきたことを顕在化」するという行為も正当化できそうだ.内容について語るのはコンセプトから外れるので(というより語れないので)リンクの Amazon の紹介およびレビューなどを参照されたい.

 

 別に今この本をワールドワイドウェブの大海原から探し出してきたわけではない.私がこの本を知ったのは大学生協の書籍部・ルネである.新刊のコーナーを見ていてこのキャッチーな本の題が目にとまったということは覚えている.しかし内容についての記憶はないのでぱらぱらと立ち読みしてその場を去ったのだと思う.発売は 2008 年で新刊コーナーにあったことからして私が大学一回生のときの出会いということになる.現在ルネがある建物は 2012 年夏に改装されたもので (ちなみに 2012 年に改装されたという認識も私の本に関わる記憶に依っている.改装直後の仮設店舗の新刊コーナーでジョルジュ・カンギレム『科学史・科学哲学研究』(金森修訳)の新装版に出会ったことを覚えているのでその発売日を確認したのである.当時入門書を数冊読んだだけで科学哲学の概要を分かった気になっていた(馬鹿だ)私は,「これを読まずして科学哲学を語るべからず」とでも言わんばかりの "カン様" の顔が表紙に印刷されたこの本およびこの本の目次を見ても何の話かさっぱりわからなかったという事実に衝撃を受けた).今よりも売り場面積が広く開放感とともにどことなく昭和の香りが漂っていた当時のルネの空気感が思い出される.よほどの本でない限り衝動買いはしないので気になる本は Amazon のリストに放り込んでいるのだがこの本はかなり頭の方にあって随分長い間中古品が値崩れしないか見守っていることになる.履歴を見る限りリストを作ったのは 2012 年だ.つまり,出会ってから四年間ずっと意識の片隅にあり続けた結果真っ先にリストに入れられて,その「外部化された意識」の片隅に更に 2 年以上のさばり続けていることになる.入学以前に気になっていた本で手をつけていないものはないと思われるので「腐れ縁」と言うべき関係を構築している本があるとしたらこれくらいではないか.なんだか入学時にサークルの新歓で出会ってメアドを交換するわけでもなくお互いそのサークルに入ることもなく親交が深まることはなかったけど定期的に構内で鉢合わせてとりとめもない会話をして卒業式でも一緒に記念撮影したりして向こうが就職してからも特に連絡してなかったのに共通の知人を介した飲み会でまた巡り合ってしまう知り合い以上友人未満の人みたいな.ここまでくると今更連絡先を知る気にもならないし,この本についても今更新品を買って読むのは完全に負けだという気がしてくるものだ.しかし今回レビューを読んでたらやはりとても面白そうなので今が買い時のような気もする.

 差し詰め言うことがあるとすれば,当時この本について何も語れなかった私だが出会いから 6 年間でこの本について語る枠組みを得ることができたようだ.

 

 人は読んでいない本について語ることができる.そして読まれた数だけではなく読まずして語られた数もまたその本を偉大たらしめる.私が本をものす僥倖に巡り合えたとしたら,まず何かしらの形で存在だけでも知ってほしいしあわよくばふとしたきっかけて手に入れて本棚のどこかしらに少しの時間であっても居場所を与えてほしい.そしたら読まなくてもいいし売ってしまっても(借り物なら返しても)いい.本は私にとってそういうものだ.

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法